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もみの木山荘オーナーの自分史。イジメられっ子からガキ大将へ。あだ名はガキ大将アク(悪)

もみの木山荘オーナーの失敗談「トホホ物語」。旅がやりたくて脱サラ、ど素人がペンション経営 もみの木山荘作るまでの・・・!

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トホホ物語

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 第24話 平成22年 十一回目のスイス旅ものろいが続く!
[ No. 24 ]

この俺はよほど貧乏神のお気に入りらしくまたまた今回の旅もたたった。
アイスランドの火山が大爆発をして空路が大混乱に陥ったのが四月。今年はなぜか旅人が多いらしく、7月のスイス直行便が三月末でも取れない異常事態!

そこでロンドン経由のスイス便をとったのだ。
アイスランドに近いロンドン空港は閉鎖が一週間も続いた。

また火山が爆発しないか毎日はらはらでインターネットの火山情報を見ていたが五月に
再活動をした。

悪いとき悪いことが重なるものである。
四月から航空運賃の燃料加算が高くなるのでキャンセルのできないチケットを値上げ前の三月末に購入、絶体絶命である。

出発は七月初め、また火山が爆発しないか普段神様など拝んだことも無いのに、散歩のついでとはいえ何回も家に近い熊の神社にお参りをした。うちの仏壇にもお願いした。

なんだかやけくそになって火山が爆発するならしてみろ!と捨て鉢な気持ちになった。それは帰りにロンドンで足止めを食うのが一番怖かったのだ。

でも無事に帰ってこれたのでその喜びはとても大きかった。
で帰ってからお礼参りしたかって?次の日になったが郵便局にゆくついでにちゃんと
お礼参りをしたよ!

何しろ二人の女性同伴(山仲間です)での旅なのに髭を剃るのも忘れていたぐらい気がかりだったのだ。
でもこんな心配事は同伴者にはだまっていた。
それで!旅は無事に終わったかって!それがそれがまたまたトラブルが続くのだ。

現地サンモリッツの天気予報を出発の半月前より毎日見ていたがサンモリッツは
標高千八百米とはいえ夏なのに六月下旬の十日間毎日雪が降っている。
最高気温五℃、最低気温が二℃という冬の到来だ。

多分成層圏に上がった火山灰の微粒子が太陽光をさえぎっているのかなー?
でもスイスについた日には晴れで日本のように蒸し暑い夏であった。

この暑さが災いして最初に行くはずだったベルニナ鉄道がこの日雪崩で不通になった。
夏に雪崩で鉄道が不通とは前代未聞。

今回の目玉でベルニナ山脈を凌駕すべく、核心部の山小屋ディアヴォレッツアの
それも個室を取っていたのだ。

この山小屋はベルニナ山脈の、いいところが真正面に見える人気の山小屋で
大部屋ならともかくなかなか個室は取れない。

それを三月末に料金前払いで予約して楽しみにしていたのだ。
しかしトラブルがわかったのは現地直前のサンモリッツだ。

不通箇所を歩いて強行突破も考えたが現地警察が厳重に見張りをしているということで
あきらめた。

当日キャンセルは全額支払いと予約書にも書かれている。
貧乏神はここでも俺に向かってほくそ笑んでいることだろう。

サンモリッツに泊まるのはまだ早すぎるので氷河鉄道の八時間という長旅を考え中間点のアンデルマットまで普通の列車で行った。観光客ぎっしり(それも日本人ツアー客で)の
氷河急行よりも普通列車の一等は貸しきり状態で快適だ。

そういえば俺もこの混雑を嫌って一回も氷河急行に乗ったことは無い。
さすがに貧乏神も俺を可哀そうとみたか、スイス滞在中の一週間は毎日晴天だった。

ここ数年来、山岳会の人を連れて行ったときも、おカーちゃんと行ったときも、娘を連れて行ったときも一日か二日しか晴れがなく温暖化のせいでスイスの天気も悪くなっていると思っていた。

晴れをプレゼントしてくれた貧乏神さんありがとう。
でもこのまま喜ばせて帰すのは貧乏神のプライドが傷つくと思ってか、帰りの日に最後の困らせを幾つか用意していた。

俺は最後の日には荷物受け取りのトラブルを避けて鉄道便などで送らずに必ず荷物は持って歩く。しかし今回はか弱い女性でしかもお土産も入っている重いトランクだ。例外的に最後の宿、ルッェルン駅に鉄道便で送った。

駅で荷物を受け取ろうとしたが締め切り時間が過ぎ荷物は出せないとのこと。今までは切符売りが遅くてもその役をやってくれたのに、係りが違うので駄目と言う。

次の日には空港に行くため六時半に出るつもりなのだ。それなのに次の日の取り扱いは八時からと言う。
頼み込んでも規則一点張りで、そこで作戦を変えておどしにかかった。
九時のフライト(本当は十時半、おどしを大げさに)なのでとても間に合わない!観光国なのに客の応対として大問題だ。

フライトに間に合わなかったら、チケットも無効で日本に帰ってからスイス大使館に行きにこの
大問題をクレームとして訴えるとわめいた。

女性の切符売りは男の人と相談していたが、荷物を探しに行き、荷物受け取りの窓を開ける姿が見え、黄色の同伴彼女のトランクを引きずってくる姿を見たときは百万円拾ったときのような?(拾ったことは無いよ)喜びを感じた。

ルツェルンでは駅前のホテルを三月に予約したが二人部屋は取れたがシングルの部屋はなくやむなくこれをキャンセルしてどこでも良いから同等の値段のホテルを旅行社に頼んだ。
そのホテルは遠いのでタクシーで行った。しかしである。

驚いたことにそのホテルはシングル部屋ひとつだけ申し込まれていた。旅行社先払いの宿で料金の支払いがないと、冷たく追加部屋を断られた。

しかしこちらも予約書を持っており、申し込みトラブルの緊急連絡先の電話番号を指差し確認をするよう迫った。

旅客番号を問い合わせ、確認を取りやっと部屋が取れた。
でもこのホテル、ななんと!監獄を改造した牢獄ホテルだ。

同行の女性のデリケートな方は怖くて眠れなかったそうだ。
しかしもう一人の女性はいびきをかいて熟睡したそうな。
やっと荷物が手に入った安心感からか?

デリケートさんいわく、旅で同伴者のいびき熟睡は初めてだそうな。
やれやれ安心で日本の夢でも見ていたのかな?

ところでなぜに間違った申し込みを旅行社が行ったかを
帰国後調査したところ、二人部屋しか取れなかった駅前ホテルをキャンセルしたが間違ってあとの監獄ホテルをキャンセルしたようだ。

この旅行社のホテル予約書に限りトラブルの緊急連絡先の電話番号が入っていた(二十四時間対応)
用心深い旅行社と感心して確認書を受け取っていたが、こんな電話が必要な間違いの多い旅行社なのかもしれない。
ご用心!ご用心!

この旅行社、俺が同等値段のホテルを希望したので、お値段だけは駅前ちょい豪華ホテルの
二人部屋11,600円に対して監獄ホテルは11,100円だった。

こんなことなら駅前ホテルの二人部屋の床に俺がごろ寝をすればよかったのだ。山仲間なのでそれもOKと了解してくれたかも知れないのだ。

それにしてもこの日は何かがあったらしく、こんなに混んだルツェルンを見たことが無い。
いつも見慣れている空き部屋ありの看板はどのホテルの前にも見当たらなかった。

日本に帰国後の一週間が過ぎたころ、スイスの氷河急行が脱線転覆!こんな事故を起こしたことが無い世界一正確な時刻を誇るスイス鉄道が転覆事故を起こすなんて、しかも日本人の死亡者がでたことは、前代未聞だ。

サンモリッツからアンデルマット泊でここを通って来たばかりだ。場所はユングフラウ氷河を逆から見る展望台の山に登るフィッシュという駅の手前でこの辺は数回鉄道のループを
(急勾配のため、らせん状に上り下りする鉄道の写真を撮るためにも行ったことがある)よくもこんな所に鉄道を引いたと思っていた。

そういえば今年の海外旅行は行く先の鉄道トラブル続きだ。
四月にペルーのマチュピチ鉄道が空前の豪雨で線路が決壊。
今回の旅もスイスベルニナ鉄道が雪崩で埋まった。

なんと夏ですぞ!俺がスイスに行く前十日間毎日雪が降り積もっていた。そしてベルニナ鉄道に乗る前日、今までスイスで経験したことのないような蒸し暑い日本的な夏がきてそして積もり積もった雪が雪崩となって鉄道を襲ったのだ。

通算して年間三回のトラブルに遭遇していたのだ。なんと
まだ貧乏神は俺を愛し続けているのだ。