第33話 東日本大震災4日以降
発生から四日以降、やはり一番困ったことは水、飲み水は、給水車で何とかなるが雑用水の確保が大切、井戸を持っている人を見つけておくこと、やはり人の良好な人間関係を日ごろから築くことが大切だ。
雑用水を一番必要とするのはトイレだ。風呂の残り湯もいつも残す習慣があると良い。娘の同級生がどこかの井戸で汲んできた20Lのポリ運び風呂に入れてくれた。もちろん風呂に入るためではなく雑用水用だ。せっかくの好意、井戸が近くにあり使えるのだが、タンク10個の水はありがたく好意をいただく。
このときはガソリンスタンドも電気が無く手回しのポンプで入れるから時間がかかり、2~3時間待ちなど大切なガソリンを使っての水運搬なのだ。道路が悪く渋滞で、タンクロリーもこないのですぐガソリンは売り切れる。諦めきれず車だけ並ばせ帰る人がいる。いつ次が来るかわからないのでそうなる。でも時々見に来るのかな?
私が病気上がりだと知っている隣人は10Lのガソリンを買ってきてくれた。
このガソリンはそれも2時間並んで得たものだ。10Lしか買えず、自分の車には入れてないのだ。
貴重なこのガソリンを使って我がもみの木山荘に行ってみた。
もみの木山荘は我が家より約45分の位置にある。
2階の窓は半開きの所が数箇所あり雪が吹き込んでいた。
そうか!ここは500Mも高原でまだ冬の気配がのこっている。
心配した食器棚、本棚などは倒れておらず、L型金具で固定していて良かったと思った。(金具の固定位置は壁をたたいて木の骨組みがある場所にする事)
建物は無事でほっとする。宮城県沖地震(1978)以来地震を念頭に設計した建物だ。入れられる所すべて耐震力をあげる筋交い(柱間に入る斜めの柱)をいれてある。
ここでは水道の蛇口をひねると水が出るではないか!上流からの渓流水をろ過しただけのこの水道は電気が無くても自然の重力で出るのだ。試しに温泉をひねるとなぜかお湯が出る。びっくりした俺は、すぐ戻って仲の良い近所の夫婦2組を招待した。
彼らは折から近くの避難所に避難してきた百人以上の人たちに、まだ行政の手が回らないうちの、数日間自分の米をだして炊き出しを行った人だ。
でも個人努力では1日1個の小さいおにぎりやっとだ。苦労をねぎらってやらねばならない。
避難所にパンが来るようになった。そして余っているという話を聞いたのでもらいに行ったら、避難所の人にしかあげられないとのこと。そんなバカな、俺たちも被災者なのだ 。行政の頭の固さ、石でもでもぶつけたくなった。
スーパーに行ってもパンも買えずキャベツ1個ぶら下げてきたカーチャンがかわいそうであった。この話を電気が入りメールが可能になったとき東京の妹に伝えたらその後、ダンボールいっぱいのパンが送られた。配送センター止まりだがありがたい。身動きの取れない行政に変わり身内からの援助物資も多いとみえて、ここでも長だの列だ。でもきちんとして割り込みなど無い。
上の妹からも援助物資が届いた。もういろいろの物が入っており買い物もさぞ大変だっだろうと電話する。東京小金井でもスーパーの食料は乏しく買うのは大変だったらしい。東京の人たちでもパニクって買占めに走る人も多いと思われる。
不幸にして我が家は1分のところにスーパーがあり、そこがうちの冷蔵庫なんて言っていた女房は、冷蔵庫が非常事態ではすぐ空になる。でも冷蔵庫の電気も消えるのでまあいいか。
でもいざというとき食料をゲットする方法がありますよ!
それは電気が切れればスーパーで冷凍食品をただでもらえます。でも札びらを切って買占めはできない。
お一人様何個というあんばいだ。売り切れないうち?余震で大地が揺れていても急いでもらいにゆくべきだ。
話をもどしてボランティア夫婦をもみの木へ招待して。
どちらの夫婦も1時間に及ぶ長湯だ。夫婦風呂で仲良く地震の苦労を癒してください。地震1日~2日目は食うことに目的をしぼるが、日にちがたつと風呂がとても欲しくなる。もちろん水も持てるだけもって帰りました。
電気はやっと一週間後通じた。しかし水は、未だ出ない。水が出たのは11日後だった。
水で入れ物が無いのが皆一番困っていた、ポリタンクは石油を入れるもの、と皆思い白い水タンク持っている人は少なく給水車が来ても一般の人はバケツだ。こぼれるし衛生的でない。避難所の人に配られる飲料水用袋!避難所と一般の格差はかなしい。
同じ被災者、彼らはオール電化の文化生活が行き詰ってここにきているだけのお金持ち?俺たち電化でなく、安いカセットコンロで鍋などするビンボーなひとなのに。
ところでカセットコンロのボンベが品薄になると1本百円が千円、これは他から来た行商の人だろう。
新聞には出ないが津波でも残った金庫、何かの機械でこじあけ、さらに津波で溺死した人の指から指輪をとる(溺死だから指が膨らみ指を切り取るのだ)など鬼でもやらないことをする人。こんな人たちは被災者には居ないだろう。困ったときは、お互いに助け合う心が生まれるものです。