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もみの木山荘オーナーの自分史。イジメられっ子からガキ大将へ。あだ名はガキ大将アク(悪)

もみの木山荘オーナーの失敗談「トホホ物語」。旅がやりたくて脱サラ、ど素人がペンション経営 もみの木山荘作るまでの・・・!

宮城蔵王貸切ぺンション「もみの木山荘」オーナーの真実の話を掲載しています。

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トホホ物語

トホホ物語

 第30話 東日本大震災1日目
[ No. 27 ]

東日本大地震

2011年3月11日PM 2時46分
いきなりドド・・・と縦揺れ、はげしい!!
過去経験した30数年前の宮城県沖地震より大きい。

数秒間これが続いたあと激しい横揺れ。これはすごい!
今までに無い激しさ、木造住宅にダメージを与える短い周期の横揺れ、
家のギシギシきしむ音と同時にいろいろな物の落ちる、崩れる音がする。
そして経験したことが無いほどの長い揺れが続く。

2バイ4で耐震性があると信じていた俺もいよいよこの家はだめかと思った。
俺は大腸がん手術で退院した昨年末から2ヶ月あまりで、腸閉塞にかかり
また2週間入院、絶食と腸を動かす薬の点滴でやせ細りやっと退院した
ばかりなのだ。

弱った体をいたわるべく2階のベットで寝ていたところだ。
寝ながら見ようと少し高い位置に置いた22インチのテレビが激しくおどる。

よろめきながら起きてとっさに近くのソフア積み上げてあった布団の上に
テレビを伏せて乗せ、枕元に常備してあるラジオをつかみ、そして部屋のドアのヘリにぶつかりながら1階に下りる
階段に避難した。オカーちゃんもここに呼んだ。

やっと地震も収まりかけやれやれと思う中さらに強い地震が襲う。
過去の宮城県沖地震と比べ揺れの強さ、長さは想像を越えており
なんだ!これは!  なんだ!これは!を俺が口走っていたと
おかーちゃんに後で言われた。じぶんは言った覚えはないんだけど。

数分後強い揺れは長い周期の地震に変わり、そしておさまった。
そして電気もきえた。

すぐ携帯電話を取り上げ二人の娘に安否確認の電話を入れたが全く通じない。
何回も掛けたが駄目だ。 階段に座り不安な時を過ごす。
日ごろ、近いうちにまたかならず来ると云われていた宮城県沖地震!
その時どこが安全か?いつも考えていた。

我が家は2バイ4建築なので地震には強いと思っていたが、さらに家の構造は
2階天井まで貫く壁に両側から挟まれたU字型階段があり、ここが一番家の中
で地震に強い安全な場所と考えていた。

虫のしらせか2階の天井空間(屋根裏)は7M長さ、4M巾のものいれ空間が
作ってあり、季節ごとの衣服など衣装箱につめて置いてあるが古着もたまり
衣装箱も20数個になるありさまで、古着は廃棄したばかりだ。

この軽量化が幸いして天井も落ちてこなかった。
天井の梁も物置にするつもりで4インチ幅でなく2倍強度の6インチに建築時に
してもらっていた。

更に幸いなことに屋根に乗っている太陽熱ソーラ温水器(太陽電池ではないよ)
水道水を流し太陽熱で温水を作るエコな器械だ
この温水器が冬に凍ることを避け水は抜いている。

しかし大腸がん退院後、強風の吹く春一番の日に、タンクが風で飛ばされないよう
1/3ぐらいの水を入れていたのだ。(30分で満タン350リットル)
おそらく満タンではタンク重量とも400Kgになる。
この重量が乗っていたら屋根も壊れただろう。

電気も切れ、水道も止まりガスも出ない。まさに三重苦だ。
ベットの枕もとに常備していっるラジオをつけると宮城沖を震源とする大地震、
福島岩手など、被害は3県にまたがる大地震だとわかった。

10米を越す大津波の警報も出たがにわかに信じられない10米!そんなに大きい
津波がくるのか?想像も出来ない。
そして若林区荒浜に数百人の溺死者が津波で打ち上げられていると、報道が
入った。

え!荒浜?海水浴場の砂浜、津波がこんなところに?と驚いた。
リアス式の三陸地形なら津波が増幅され大津波もわかるが砂浜にこんなことが!
この近くに勤めている娘が心配になり、また狂ったように電話のボタンを押し続ける。

広域の大災害! 自助努力で生き延びないといけない!と気がつき何をすべきか
やっと考え始めた。
明るいうち、漆黒の夜がこないうちに何をやらなければならないか?
まずライフラインの水道電気の代替え手段だ。

まず水のことを考えたのは大正解だった。
やっと次の日、避難所の公民館に来た給水車も数時間も行列して10リットルの
苦労の水がもらえる状態だった。

これは大変!でも我が家はソーラ温水器に貯めた約100リットルの水が有るはずだ。
ソーラ温水器のバルブの働き、構造を考え水がボイラーに戻らないよう閉めて
そして空気抜きからタンクに貯まった温水が出せると考え空気抜き蛇口にホースを付ける。
ペットボトルにその水を取りよく見ると澄んだ水道水そのものだ。
ヤッタ!飲料水100リットル確保。タンクに入れて間もないのでそのまま飲めると
思うが念のため沸かして飲む。

次に思いついたのはサバイバル生活に耐えるため必要な道具だ。
我が家の隣に昔、義父母が住んでいた古い家があり、物置としてキャンプ道具など
収納していたのだ。
しかし築50年のこの家は柱が少し傾き瓦も落ち今にも倒れそうだ。
折から数分おきのそれもかなり激しい余震がある。

大工仕事(ペンションのベット、棚、ヒノキ風呂など作る)作業場がある。
土足のまま大工仕事部屋から奥のキャンプ道具収納の部屋に入ろうとしたが
色々の釘、ねじなどガラス瓶に分類して入れた棚のそれらが全部落ちガラスが
粉々に飛び散っている。しかも作業台に乗せたボール盤が下に転がり、入り口の
ドアを押さえている。

ここから入るのを諦め、手に石を持ち外から回りサッシのガラス窓を割り部屋に入る
つもりでいたが、激しい地震の揺れのため幸いにサッシのロックは外れて開いていた。
ラジオを首にぶら下げ、土足のまま部屋に入るが、時折揺れが来るとけたたましく
地震警報が鳴りその都度外に飛び出し、なかなか持ち出しもはかどらない。

怖さをこらえ寝袋、マット、ガソリンコンロ(ガソリンは常に入っている)ランタン
コッヘル(組み合わせの調理なべ)組合せ食器などをやっと外に出した。
そして車に積んだ(車はペンションの荷物など運ぶため箱型ワゴン)荷物はいくらでも
積める。

荷物を積みながらハッと気がついた。そうだ水を入れるポリタンクが必要だ。
まずいことにポリタンク類は一番奥の風呂場に作った棚の上に並べてあるのだ。
そこに行くまでかなりの距離がある。窓も小さく壊しては入れない。

入るには大工部屋から別のドアを開け廊下を渡り入るのだが、木工の材料、それも
ヒノキ風呂を昨年新しく作った(前のヒノキ風呂は25年目に漏りはじめた)
重いヒノキの角材(少し曲がった、また節のあるはねた材料)板などが壁に
立てかけてあったのが全部倒れ入り口を覆っている。

これを直している暇はない。山のような材料を乗り越え、15、10リットル
水栓コック付ポリタンク、10リットルタンク1個、5リットルタンク2個を
出した。最後のタンクを出すとき気の緩みか材木の山につまずき転び、右肩を強打した。
水栓コック付のタンクは飲料水用とした。

ほっとしているときけたたましく鳴る消防車のサイレンの音に気がついた。
あちらこちらで聞こえるのだが、タンク運び出しのとき余震の怖さと無我夢中
な運び出しで何の音も聞こえなかった。

他のタンクは雑用水(食器洗い、トイレ用)に使うため、オカーちゃん
を連れごみ出し用台車にタンクを載せ近所の井戸に水を汲みに向かった。
以前防災訓練で炊き出しなど行いその井戸は知っていたのだ。

ガラガラ台車を押して道に出ると、余震が怖くて外に出ている近所のおかみさん
話の輪ができてがやがや、家のカーちゃんもその話の輪に加わる。

一人で井戸に行きポリタンクに水を入れようとするがタンクの口が小さくなかなか
水が入らない。  悪いことに使っていないので青コケ、ごみなどが水に混ざる。
肩も痛い。 そうださっき転んだとき肩を痛めたのだ。

少し戻って話の輪に加わっていたオカーちゃんを怒鳴るように大声で呼んだ。
オカーちゃんと井戸水を運び終えて
ほっとして一息つき又電話をかけながら、そう云えばあまり着なくなった古着を
(暖かい冬物が多い)納戸に片付けた非常持ち出し用の衣装箱があったのを思い出した。
納戸の棚から落ちた衣装箱すべてが飛び出しその非常持ち出し衣装箱は、他の衣装箱の
下になっていた。

やっと他の箱を棚に戻しほじくり出した箱を車に積んだ。
よく気がつくな!お前は、天才ぶるな?なんて云われそうだが、過去に車を
ぶっけられた時、
7Mのハシゴで木の枝切りして切った枝に弾き飛ばされたとき、(注:2)
落ちる間のわずかな時間に色々危険の回避策が走馬灯のように浮かんだ。
おそらく人間は危険回避の本能が大量のドーパミンを脳に生産し脳の回転が早く
いちばん良くなるのかも知れない。

それに腸閉塞治療で絶食を重ねた体はヨロヨロ、よたよた、という感じだったのに
よく素早く動いたなーと自分に感心!そう云えば今はしゃんとしているではないか。
病は気からとはこのことかな?

うれしい!うれしい!下の娘、上の娘から非常伝言板に無事だとの短文メールがあった。
時間は夕方頃だこれで心も軽く何でも来いと云う元気になった。
夕暮れになり薄暗くなってきて、庭のソーラーライトが点灯し始めた。
そうだ!何も庭を照らすことはない。3本あるライトをトイレに1本、逃げ出し用に
玄関に1本、階段に1本点けた。

トイレ用はトイレゴミ箱、玄関は植木鉢にさした。階段は杭を取り短くして逆さに
立てた。これらのライトは朝まで照らし続けてくれた。
LEDライトを首にぶらさげ、電池のストックを玄関靴箱の上に集めた。

単1電池が7本、単三が10本、単四が12本、これらは買ったばかりの新品だ。
電池はストックすると自然放電して1年後は半分の電気量になる。

何でこんなに新品が多くあるか、それはペンションは寒い1、2月を休みにして
3月に時計、LEDライト、石油ポンプ、など皆新品に換えるため買っておいたのだ。

防災用大型ラジオ(単一電池2本で200時間連続動作する)単四は3本LEDライト、
枕元用LEDランタン(豆電球型を低電圧高輝度LEDに改造して単三2本で動作する)
ランタンは5晩連続で点灯してくれた。(100円市で購入した物、後で改造法公開
します)これは防災用としてすぐれていますよ!

少し明るいうちに夕食を済ます。おかずは腐りやすい冷凍食からコロッケはめんつゆで
煮込む、トンカツの味がした。シュウマイはゆでる。調理法はオカーちゃんのアイデア
明日を考え半分残した。ガソリンコンロは快い音とともに青い火を灯している。

コールマンのガソリンコンロはもともと米軍の軍事用に設計され、普通のガソリンコンロ
のように専用の白ガソリンを使わず、車のガソリンも使える野戦むきのサバイバルコンロだ
他のガソリンコンロでは車のガソリン添加物でノズルが詰まるがこれは大丈夫、
でも少し重いよ。
今は登山に軽くてコンパクトな誰でも使うガスコンロより非常時向きだ。
コールマンコンロでお湯も沸かしお茶を入れた。少し体は温まったが、
粗末な食事のカロリー不足と、暖房も無く夜寒いので寝ることにしたが、
余震が怖くオカーちゃんは車で寝ることを主張、俺はこの家に自信(地震)が
あつたので家で寝ることを主張。

宮城県沖地震で、怖い思いをしていたので、家の基礎土台も特注の270Kgの
強化コンクリートだ。(普通は210Kg)
それにこれだけの揺れに耐えた家なのだ。
家の基礎はひびも入っていない。
オカーちゃんを説得してベットで寝ることにした。

枕元LEDランタンの暖かいオレンジ色の灯は心を癒す。
しかし頻繁に来る余震に飛び起き、
そのスタイルは首にLEDライトをぶら下げラジオと防寒着を手に、階段に逃げる。
寝るときはラジオの音はがんがん鳴らした。

余震のとき寝入って逃げ遅れること恐れ、眠り止めだ。
あまりうるさいので少し音を絞る。

音が小さくなった為か昼間の疲れが出たのか、俺はうとうと寝入った。
余震が来るたびオカーちゃんは悲鳴をあげながら階段に逃げる。
しかし俺はなんだか船に乗って揺すられているような、寝台車に寝ているような感じで
ぐっすり朝まで寝込んでしまった。

第一日目の日記で、恐怖の薄れないうちに、パソコンの電池で書き込んだが
娘と連絡がついたが(メールは通じることもある)、食料少ない、電気、ガス水道も
止まるという、何重苦?

生まれてから味わったことの無い試練に立たされています。
パソコン電池の残量も少なく、第二日目からの報告はライフラインが復活してから
もみの木山荘HPにて報告します。HPは宮城県もみの木山荘で検索、トホホ物語
に出します。

(注:2)直径50cmの杉の大木、枝きりをして切った枝にハシゴが弾き飛ばされ
回るチェンソーを出来るだけ遠くに投げ飛ばしハシゴのステップにつかまり45度
ぐらいにハシゴが倒れて、地面が近くなったとき手を離し怪我なく着地した。

切った枝は30kg以上の重さだ。回るチエンソーとともにそのまま落ちたら大怪我
またハシゴガ充分傾き地上近くで手を離せば安全と落ちながら一瞬思った。