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もみの木山荘オーナーの自分史。イジメられっ子からガキ大将へ。あだ名はガキ大将アク(悪)

もみの木山荘オーナーの失敗談「トホホ物語」。旅がやりたくて脱サラ、ど素人がペンション経営 もみの木山荘作るまでの・・・!

宮城蔵王貸切ぺンション「もみの木山荘」オーナーの真実の話を掲載しています。

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トホホ物語

トホホ物語

 第22話 世界遺産 中国、仙人の湖でたたり?
[ No. 22 ]

標高四千米、神秘の水をたたえる仙境。
日本では見られない群青の池の大群落、九賽溝。
石灰岩に縁取られ不思議なみどりの水の池の黄竜、

それはそよぐ風にさざ波がきらきらと光の舞を見せる別天地。
ここは太古の氷河期に氷で削られた谷に散りばめられたサファイア。

それが九賽溝と黄竜!テレビで度々紹介されている世界遺産だ。

数年前土砂崩れの渋滞に遭いながらやっとたどり着いた中国奥地の四姑娘山にヒマラヤ山麓にしか咲かない幻の花、青いケシの花を写しに行った時その近くだったが時間切れでいけなかった場所だ。

あのバスによる難行苦行の2日間を思い出して二の足を踏んでいたがこの九賽溝と黄竜の中間地点に空港が昨年完成したので行く気になった。
しかしである!
もうご老体と俺のことを見限っているおカーちゃんはなかなか一人旅を許さない。
世界の冒険家三浦雄一郎は俺と同じ歳なのだ。

彼は平成十四年に世界最高峰のエベレスト登頂に成功している。同伴の息子が途中でリタイアしているのに頑張った。

俺だって何か出来ると気張って行くばかりになっていたヒマラヤ行きがわずか一週間前に心臓の激痛とともに夜中にトイレで倒れ、救急車のご厄介になって以来、全く信用が無い。

そして一人旅の許可が出ない。それは旅のお金が出ないということですぞ!
(註、旅の前なんかのたたりだ!参照)
そこで皆とぞろぞろ行くツアーを選んだ。

しかも安全を期してか、娘同伴でとのことで許可が出た。
娘は苦労して休暇を取ったようだ、親孝行をするためにと,
勤め先を口説き落としたようだ。
しかしツアーは思っていた通り自由が効かず後悔した。

まずパンダ飼育センターだが未熟児を入れる保育器に小さいパンダの赤ちゃんが入っているのを見ただけ、こんなパンダ見学はいらない。
そして次は三国志(中国の戦国時代の武将物語)
の武将の像が多く祀ってある何とか寺に行った。

三国志なんか読んだことが無くつまらないと思いながらしらけて前を通過する。
そんな態度の俺を祀ってある像たちは睨み付けているようだ。
そしてここで俺は呪いをかけられた。

しかし本当は美しい仙境の九賽溝などをゆっくり見たいのだ。
やっと九賽溝に行く飛行機に乗った。目的地に近くなると針のように尖った山々、石灰岩が雨に浸食されて出来た地形だ。

飛行場に着地はドスンと乱暴でしかも横滑りしてのすごい着地で初めての体験だ。
もうここで災いの前兆かも。富士山並みの三千七百米で気圧が薄く飛行機の浮力が足りず着陸は難しいのかもしれない。

しかも降りたら寒く強い着陸に難しい横風が吹いていた。 機長さんご苦労様。へへへ、俺もセスナの操縦をしたことがあるので分かつちゃったりして?

九賽溝はテレビでは分からない実物、大自然の迫力を伝えてくれ、堪能した。
(もみの木山荘HP九賽溝の写真エッセイ参照)
しかしここの宿、食事に問題があった。

朝食べた食事は全部吐いて、おまけに下痢まで。
その後に毒餃子事件などあり、中国では食事に気をつけたほうがよさそうだ。

中国で富裕な人たちは農薬の少ない日本の米を買うそうで野菜など強い農薬を
使っているのかもしれない。
腹が痛いのは俺だけではなく、娘も腹痛を起こしていた。その他複数の腹痛人もいた。
黄竜では吐きながら途中まで登ったが高山病のような症状が現れ寒気と頭痛が襲う。

ヒマラヤで六千米でも起きたことない始めての高山病に泣く泣くリタイア。
たった四千米なのに。

黄竜の写真は娘のを借りてHPに貼るつもりだが元気が出ず手付かずだ。

帰りはガイドの添乗員まで具合が悪くなりよろけていたので、娘は気を効かせてトランクを運んでやっていた。

この添乗員は広州空港でも床に座り込んでいた。
イスまでたどり着けないぐらいなのかな。
若い美人の添乗員だったが、役が勤まらずと、べそをかいていた。気の毒に!
俺はやっと呪いがとけ元気になりつつあった。

この旅はバスが遅れ宿に午前二時に着いたり、その翌日は朝五時に出発したり、忙しい旅でもうツアーはこりごりだ。