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もみの木山荘オーナーの自分史。イジメられっ子からガキ大将へ。あだ名はガキ大将アク(悪)

もみの木山荘オーナーの失敗談「トホホ物語」。旅がやりたくて脱サラ、ど素人がペンション経営 もみの木山荘作るまでの・・・!

宮城蔵王貸切ぺンション「もみの木山荘」オーナーの真実の話を掲載しています。

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トホホ物語

トホホ物語

 第21話 旅の前のとほほ!ナンカのたたりだー!(さんざんな旅行)
[ No. 21 ]

世の中、保険もサービス時代になり、入院一日につき一万五千円なんて過剰保証もありで車のバンバーが曲がったぐらいの交通事故で、入院一ヶ月がんばる知人もいる。
しかし俺はこんな保険には一切入っていない。

しかしビンボー神に気に入られたか?旅に出る少し前に具合がわるくなる。
忘れもしない!平成十五年十一月ヒマラヤに旅立つ一週間前の夜中にトイレで小用中突然胸が締め付けられるような苦しみ、焼けるような痛みにおそわれ、倒れたが声も出せない。

五分ぐらいしたら何とかベットまで這って行き,おかーちゃんを起こした。冷や汗をたらしうずくまる俺を見てビックリしたおかーちゃんは救急車を呼んだ。

救急隊員が来た時に、俺は近所がびっくりするので近くではピーポーを鳴らさないで!なんて言う位まで回復していた。

家は柴田町と云うことで近いので中核病院に運び込まれた。
しかし救急車で病院に入ってから申し訳ないぐらい元気になり、一晩中電気がついて人の出入りがあるICUでもよく眠れた。

一週間入院したがいろいろの検査結果も異常が無く無事退院となった。
その後,今も心臓は異常なく動き続けている。

でも一週間前のキャンセル、キャンセル料ばっちり取られた、トホホ!
しかし話はこれで終わらない。

家の婆さんは二年前この中核病院から天国に旅立った。
俺が担ぎこまれた、そして入室した部屋、婆さんの旅立った個室四○三号室!それは天国への始発駅の部屋だった。

そして俺が入院した日は婆さん命日の3日前、その婆さんの命日、十一月十一日は、先に逝った爺さんの命日でもある。

二人の命日を別々にすると残された者が大変と爺さんは考えて婆さんを天国に呼んだのかもしれない。

しかしこのじじ、ばば、生前仲が悪く喧嘩ばかりしていたが、だいじょうぶかなー?
先日震度六の地震があった時に、墓石は倒れておらず大丈夫だった。
天国では何とか丸くおさまっているとみえる。

この騒ぎでこりて、健康管理に気をつけ適度なトレーニング万全の体調で次の年の平成十六年七月チベットに旅立つ。
山と花の(ヒマラヤでしか見られない幻の青いケシの花をチベットでも堪能)の旅を終えて無事帰国した。

俺の出かける前に脳出血で倒れた入院した隣のおばさん、俺が帰ってきた時にはすでに天国に、お葬式まで終わっていた。

ご霊前におまいりして、おすしをご馳走になったが、この日はすごく暑くこんなに暑いのによく食えるな!なんて感心されたが、俺は少しも暑くない。

カーちゃんが俺の額に手を当ててビックリ、すごい熱だとのこと。しかし俺は暑くも寒くも無い。

体温計で計ると三十九度を超えている。
近くの町医者に行くとやはり三十九度超えて、CRPは二十と普通の三十倍もある、レントゲンは異常なし。

折からサーズを疑われ、町医者から中核病院に精密検査を依頼したが、隔離施設が無いとのことで断られた。
アレレ!中国でのサーズは沈静化したとのニュースだったはず。

しかし町の医者先生いわく、中国の情報は信頼性が疑わしくまして中国奥地チベットのこと。
ありうる話、もしサーズだったらこんな町の医院はつぶれると脅かされた。
俺もそんなにおおごとになり、迷惑をかけるのかとぶったまげた。

幸いにして刈田病院は引き受けてくれた。
後で聞いた話だがここの先生は鳥インフルエンザを疑っていたようだ。
それから十日間部屋にカンズメ。隔離病棟なので出口に見張りのナースステーションがあり
売店すらいかれない。

昼間は平熱、そして夜は三十八度から三十九度の熱に苦しめられた。
連日謎の熱を解明すべく検査の連続、レントゲンはもちろん,CTを胸と胴体の2回、その他に超音波MRTまであった。

しかし一週間で夜の熱も治まり、しかしそのあいだに飲まされた抗生物質で口の中の感覚もおかしくなり食事もまずく進まない。

不明熱、そして外国での発病ということで大事になるのを防ぐためやむ終えない処置だったのかも知れないが、くすり漬けにはまいった。
そして何の原因かわからずに十日目に釈放された。

今度は平成十七年十二月二日、娘を連れて十日間のエジプト旅行をするツアーを申し込んだ
下の娘がボーナスが少ないと勤め先を喧嘩してやめ少し浪人をしていたことがあり、慰めるべくカナダのスキー旅行に連れて行ったことがあった。

上の娘はときどき下の娘だけ海外旅行を連れて行った!と時々ぼやかれた。
そこで上の娘に休暇が取れるなら、連れて行く!と俺はミエを切った。

行く場所は?時期はと、色々調べ、エジプトにそれもベストシーズンの十二月と決めた。もちろん費用は俺持ちさ!

ドーやってベストシーズンを決めたって?
それは一月二月はかぜインフルエンザも流行り、三月から五月はエジプトでは砂嵐、六月から十月は健康な若者でも体調を崩す、激しい暑さ、と云う事で、十二月に決めたのだ。

娘も一生懸命に仕事をこなし、十二月の十日間の休暇も可能になったのだ。
しかしここでも貧乏神は俺を見逃さなかった。
十一月始めにひいた風邪が町の売薬でも数日で治らず、町の医院に行った。
普通の感冒薬では治らず、夜の熱も高い。

レントゲンでは肺炎の症状はないが大事を取って効き目の一週間続くという抗生物質を三日間飲んだ。

それでも治らず別の薬を三日、しかし高熱は夜だけではなく昼まで出てきた。
町の先生、手に余ると見て中核病院に紹介状を書いてくれた。

しかし中核では翌日は予約でいっぱいとの事、次の日の診療となった。
翌々日の中核の診療ではレントゲンも異常なし熱だけの患者はどこでもあるということで一週間後のCT検査ということで診断は終わつた。

原因不明の高熱が十日間も続くのに処置もされないと心配したカーちゃんが何か手を打ったらしく、次の日に中核病院の先生から入院して精査してみてもいいと電話があり、急遽入院となった。

しかし皮肉にもこの間にすでに四、五日たちすでに高熱の症状は改善され夜間のみ微熱が出る状態にまでなった。

しかし原因を確かめるべく検査入院したが夜間の微熱と夜間の激しい咳に悩まされていた。
入院が十八日となり約一週間の入院期間で、

退院しても体力が回復しない状態で旅を続ければ去年の帰国してからの不明熱の悪夢を思い出し
泣く泣くエジプトはキャンセルした。
今回のキャンセル料は二人分でトホホ、トホホである。
今回なぜ酷い風邪をひいたか?入院中偶然に観たテレビの健康番組で、リューマチ患者の死亡原因ナンバーワンは肺炎との事。

それは体が痛いので運動もせずに病気に対する耐力がなくなるのだという。
俺れはこれが原因だ!と思った。

まず今年の六月ひどい交通事故に遭った。直線道路を進む俺の車に一時停車しない車がまともに衝突したのだ。

車は全損、助手席のおカーちゃんは、胸を強打して息が出来ず、毎度おなじみの中核病院に緊急入院。
俺も事故調査の警官に説明しているうち、首と腰が痛くなり説明もそこそこにタクシーでおカーちゃんの待つ中核病院に行った。

アベックで仲良く入院?と思ったが。俺は通院でよいとのこと。 おカーちゃんはシートベルトで強く締め付けられ肋骨にひびが入っていたのだ。

よく考えてみれば病院にツインの部屋は無いのかも、病院に入っても別れ別れの別居となる。
それに七匹いる猫にえさを与える人が居なくなる。
そこで俺は通院でよかったのだ。

俺はその後退院したおカーちゃんとともに高沢外科に一ヶ月半の通院となる。
俺は腰も首もさらに肩まで痛く体もあまり動かさなかった。

何とか痛みが薄らいだ事故二ヵ月後、手入れも出来ず放置していた畑の草を取ろうと自転車に乗って畑に行く途中の下り坂でスピードが出すぎバランスを崩して転倒した。

自転車にクワなど余計なものを積んでハンドルがとりにくくなっていたのだ。

自転車も放置してやっとの思いで家に帰りおカーちゃんに毎度おなじみの高沢外科に連れて行ってもらった。
診断結果は肋骨骨折。
ここでまた痛くて運動、散歩も出来ず、二ヶ月静養。

通算事故を起こした六月から十月まで今まで体験したことが無いほど長い期間の運動不足となった。
そしてこの運動不足がたたり耐力の落ちた俺の体に貧乏神が襲いかかったのだ。
十一月早々に風邪をひいてしまい、風邪がこじれなかなか治らず、十五日の自宅療法の結果治らず、中核病院にお世話になる羽目となったのだ。

結局運動不足による体のばい菌耐力が落ちたのが根本原因と考えている。

そして細木数子の占い本によると俺は土星人。
今年は大殺界でどこにも行かずおとなしくして居ろ!
という占いであった。

六月の交通事故、七月の自転車顛倒による肋骨骨折、そして十一月のこじれた風邪!まさに災難続き。
ひっそりおとなしく貧乏神が通り過ぎるのを待ちましょう。

中核病院の皆さん お世話になりました。
そして旅好きの俺だが、しかしあの世への長いそして帰れない旅にならないようにトレーニングに励みまだまだ旅を続けるように頑張るぞ。