第19話 スイス登山ガイドの苦労話
俺の所属している町の山岳会、創立40周年を記念して海外遠征、スイス登山を試みた。
とくに失敗談はないが山のガイドとして15名の山岳会員を案内したがその大変さをリポートしてみる。
合わせて同行した部員の紀行文をのせる。
時は2000年7月上旬、俺には初体験の山岳会のガイドだ。
俺のスイスは8回目、いつも約1ヶ月の滞在で、スイス人よりコースには詳しいと宿の人に言われるが山岳会の山屋だ。そこいら通り一遍のハイキングコースでは駄目だろう。
例年より早く6月初めからスイス入りしている。普通あまり良い天気がない6月なのに毎日晴天だ。
たまには雨降りで休みたいと思うのに、晴れれば疲れていてもコースの下見と、
やはり足は山に向かう。
7月8日、今日は山岳会員が日本から到着するのでチューリッヒに迎えに行く。
なぜか今日は雲の多い日である。
荷物は山の中ミューレンのホテルに先送りする。
そして身の回り品だけで途中のルツェルンに向かう。当日中ミューレンに行けないからだ。
宿は文化遺産的な1600年建造のカルベ橋を前にしたポイントだが宿が小さく同じ部屋はなく、不公平なのでくじで決める。
次の日駅まで行くのによそ見をして隊列を離れる人など、少しも気が休まらない。
添乗員はただで旅ができいいなー、なんて思っていたがこの苦労本当に大変なものだ。
ツェルマットでもブライトホルン(4165m)に登る前日、アイゼンを借り装着の練習をしたが、次の日に飛雪舞う氷点下の斜面でアイゼンがはずれ装着しなおし、ここは日本と違い雪ノ下は青氷、緩い斜面でも滑ったらなかなか止まらない。はらはらの連続だ。
朝飯のとき登山中はトイレがないのでコーヒーは飲まないように言ったが聞き逃したらしく、同行の女性がおしっこ、他の登山者が登ってくる中人垣を作り用をたさせた。
出発が早朝のためコンビニは開いていないので、ホテルで朝飯時ひるのパンなどそっと
調達するように伝えたが、なんとテーブル上で堂々とサンドイッチを作る始末、バナナなどのフルーツも抜け目なく沿える人までいる。
早朝なのでマネージャーはいない、ボーイだけだったので10フランチップを握らして見逃してもらった。
本当はスイスではチップは不要だがこんな時はやったほうがいい。
混雑するマッターホルンのケーブルは早朝のため待ち時間無しで乗れた。
早朝作戦は成功。
高山病が恐いのでゆっくりゆっくり登る。1歩2呼吸のスローペースで酸素を十分に取り入れる。
おしゃべりは酸素不足の原因になるので禁止したがそれでもしゃべる人がいる。
3時間かけて標高差280メートルを登りきる。(俺は1、5時間で登る)
でもこんな騒ぎであっても頂上に登ったら感激の涙を流す人がいて報われた。
人はなぜ山に登るのか?ということが少し分かったような気がした。
この費用は苦労の甲斐もあり仙台からの夜行バスまで含め22万円で済んだ。
列車のチケットはフリーのスイスパスを別途購入した。
列車のチケットは種類が多くややこしく窓口も混み合うのでスイスパスがよい。
8日間のガイド中ブライトホルンに登った1日を除いて毎日雪の降る寒い夏でした。
このとき日本では暑い夏だった。
2003年夏はヨーロッパでは毎日猛暑死人まで出る騒ぎ。水不足の夏のようであった。
日本では10年来の冷夏で毎日雨の降り続く寒い夏でした。
ヨーロッパと日本の天気は反対になるようだ。