第4話 スリ、トランク紛失、ダブルパンチのヨーロッパ旅行
その1 パリの地下鉄でスリに
用心深いつもりの俺が生まれてから、初めてスリにやられ、しかも旅の初めに鉄道別送便で送ったトランクも紛失。
しかし不自由な生活と裏腹に軽装で自由に動き回れる旅を実感した思いでの多いヨーロッパだった。
成田ヽモスクワはジエット気流に逆らっての飛行なので十時間かかる。シベリアの大原野を眺めるため窓側の席をとる。
六月というのに、雪で白い大地に銀色の大きく蛇行した川、村も道も無いどこまでも続く広大な大地、機内の窓からでも未開の大自然を感じることができた。
ロシアのエア‐フロートはモスクワで乗り継ぎになるがとても安い。それにパリ直行便の十四時間に比べて、モスクワまでだが十時間と短く疲れない。たったの四時間の違いがとても大きい。
それは機内で夕食を食ベ、寝て朝飯を済ませてくつろいでいるうちにモスクワに着くからだ。
モスクワで泊まり次の日、昼に目的地に着くのが良い。初めての土地に夜着くのは恐い。モスクワのトランジェットホテルは空港からバスで十五分ソユーズという十五階の新しいホテルだ。大きなバス付きのきれいな部屋で二千円と安い。
まだ午後六時と早いのでロビーでぶらぶらしていると、フロントに声をかけられた。モスクワ見物をしないか、というのだ。
クレムリン宮殿、赤の広場など二時間のコースで二十ドルというのだ。安いので心は動いたが、しかしビザが無いというと、皆やっているから大丈夫という。しかしロシアは国内に入るために許可証ビザが本当は必要。
ビザ無しではホテルから出ていけないことになっている。
見学中に運悪くビザを見せろと言われたら旅の始まりでパーだ。今回はあきらめておく。
部屋に入りテレビをつけてみたがロシア語のニユースばかりで、しかたなく風呂に入って寝た。ふと目が覚めると外が明るい。朝かと思って時計を見ると午後十一時だ。
北国のモスクワでは夏は白夜に近くまだ明るいのだ。
やることが無いのでもう一度風呂に入る。部屋には冷蔵庫はあるが空っぽ、空港の免税店でビールでも買っておくのだった。一ドルで缶ビール大が買えるので安い。
空港の免税店でもう一つびっくりしたもの、それはキャヴィアのカンズメがわずか10ドル!、恥ずかしながら俺はまだ食ったことがない。
重いのでおみやげは帰りに買おうと決めた。ところが100個はあったと思うが帰りにはきれいさっぱり無くなっていた。売り子に聞いたら日本人がすべて買占めたということ。このころの爆買いは中国ではなくバブル景気に舞い上がった日本人だ。
さて話をもどして、やることがないのでホテルのベットでぼんやりしている。
いつのまにかまた寝てしまい起きたら午前七時ちょっと前、どうせバスは九時頃と勝手に決めて朝風呂に入っていたら激しくドアがノックされた。
裸でタオルを巻き付けドアチェーンをかけてドア少しあけて、何だと言ったら空港行きのバスが来たとのこと。フライトは十時半でまだ早いのに?
こんなに早く、時間をおしえてくれれば準備していたのに、気がきかない。それに部屋に電話をかければいいのに、観光なれしていないのか、ゆうずのきかないロシアだ。
昨日、迎えのバスは何時に来るのかバスの運チャンに聞いたが英語はまったく通じない、モスクワでのんびりと一泊する日本人はいないらしくバスに乗った数人は外人ばかりだ。
心配になってバスに同乗の客にフライトを聞いたが十二時とかで俺の十時半なんてのはいない。ホテルのフロントでバス時刻をきいても分からないと言う。
あせってもしかたがない。たぶん、他の客と併せて九時頃の出発だろうと勝手に決めていたのだ。
あわてて着替えもそこそこ、チェックアウトしバスに向かって走り始めたらフロントが追っかけてきて紙袋をわたしてくれた。朝食だという。これは気がきいている。
ホテルは朝飯つきだったのだ。しかしこの中身にびっくり。
ーリットルの水、缶ジュ‐ス、パン二個、バタ‐、ジャム、まではいいが大きな板チョコクッキー袋、キャンデー、チーズ、ピスタチオ(これはかなりの大袋で旅の中頃までビールのツマミにしていた)などなど。
この頃ロシアの食料危機が日本の新聞に伝えられていたのに。朝飯にこんな沢山くれるなんて、いったいどうなっているんだろう。
バスは昨日乗った大きな車に俺一人乗せて空港に向かう。
モスクワからパリは四時間の旅だ。
パリ、ドゴール空港からパリ市内へ行くのはシャトルバスが一番簡単だ。しかし無駄な金は使っていられない。一ヶ月という長い旅だからだ。
とことんユーレールパス(ヨーロッパ鉄道1等乗り放題パス)を使うべきだ。空港から無料のバスで駅まで行き電車で三十分、パリ北駅に着いた。
パリは行く先によって幾つかのパリ駅があるのでややこしい。
いつもホテルを決めるとき、インフオメ‐ションセンターを利用する。これは自分の希望(静かさ、駅への便利さ、宿伯料)などを言うと、ぴったりの宿を紹介してくれる。
しかも信用のおけるホテルを。だから有料でもいつも利用しているが、今回は昼休み中。ヨーロッパはサービス業でも昼休みを取るところが多いのだ。
駅前は四っ星、三つ星のでかいホテルがずらりと並んでいるが高いだろうな。
よし!それなら自分でさがそう。今までの経験では駅の裏側は静かで安いホテルが多い。思ったとおり駅の裏側は静かだ。しかし黒人なども多い下町だ。
ポリスがいたのでこの辺で安全でリーゾナブルなホテルはないか、と聞いたら、あそこがいいよと指差してくれた。
近くの他のホテルは☆無印ばかりなのに、そこはれっきとした一っ星ホテル。宿のおやじはテレビ付き二百四十Fの部屋を勧めるがテレビは言葉が分からない、同じ部屋でテレビ無しの部屋を見せてもらった。
ハイシーズン以外は値段を決めてから部屋を見せてもらうことが大切、お客を採りたいので必ずいい部屋を案内する。たとえば展望がいい、シャワーでなくバスタブ(普通はシャワーだけ)がある、部屋が広い、などなど。
だがこれは個人経営のホテルでの話し、大きいところはだめだろう。
部屋はバストイレ付き、よかった!風呂に入れる。
一泊二百二十Fというのを五泊で千F(四千円/一泊)で決めた。もっと安い所もあるが着いたばかりで、旅の疲れを癒すためには、あまりけちらないほうがいい。
ホテルはレストラン兼用のスイスでいえばガストホテルだ。通りに面したところがレストランで中庭を経て部屋があり静かだ。
ここは下町だけに、個人商店も多く日曜もやっているのでとても便利だし、それに安い。寝酒にと、ワインを買いにでたが、なんと二百円のワインがあった。
高いものは旨いに決まっている、安くてもどんな味がするか試しに買ってみる。その他バナナ、アボガド、グレープフル‐ツ、トマト、モモ、サラダナを各一個買う。これだけで駅で買うサンドイッチより安くフルーツいっぱいの朝食がとれる。
店では一つずつ丁寧に計って袋に値段を書いてくれる。こんなことをしてくれるのは利用しているツ‐リストも多いのだろう。だから下町は大好きだ。
しかし目つきの良くない人(生まれつきだったら、ごめんなさい)も見受けられるので、夜は出歩かない、財布に大金を入れておかない(この習慣が後にスリにやられたとき、被害が軽微で済んだ)見せないなど注意したほうが良い。
寝酒に買ったワインを飲んだが日本のワインより飲みやすく旨い(渋くなくうっすらと甘く口当たりが良い)。
前回スキーでイタリアヘ行ったときに、安いワインが意外においしかったので安ワインのフアンになったのだ。
寝酒でぐっすり、さわやかな目覚めで朝風呂に入る。、朝食は宿代に入っているのでレストランに行き、パンとハムを皿にとり部屋で食べたいというと、うなずいたので持っていく。
宿の朝飯といっても普通は、どこでもパンにコヒー、バタ‐、ジャム、良くてハムが付くぐらいだ。
電気湯沸かしを持っているので、お湯を沸かしスープ、コ‐ヒーをつくり、もちろん野菜サラダもアボガド、チ‐ズ、トマト、サラダ菜入りをたっぷりと食べる。
いつも旅の最初はのんびりとして時差を解消しいているのだ。リラックスして朝飯を部屋で食べるのが一番良い。時差の取れないまま一週間ぐらい忙しく回るツアーなど、俺には考えられない。
パリでの六日間は美術館めぐりの予定だ。まずルーブル、ここは宮殿を使った優美で巨大な美術館だが、入り口はガラスのピラミット、なんだかミスマッチである。
フランス旅行中、このような感じをもったことが何回かあった。
フランス人の気質はミスマッチ、革新的でそれでフランス革命などが起こったのだろう。
ルーブルは実に大きく三日間を要してしまった。しかし評判の名画の中には、俺にはピンとこないものもあった。たとえばモナリザの微笑、あまりみばえしない。
それよりこの絵の前に群がっている日本人観光客はフラッシュ禁止と日本語でも書かれているのに平気で写真をとっている。同じ日本人としてはずかしかった。
それでもあまり有名でないがとても魅かれる画も多かった。たとえばルイ‐ズ王女の肖像画、この女性の美しさをたたえカナダのロッキー山中にレイク、ルイーズという美しい湖がある。
そのルイーズの肖像画は目が生きているようにみずみずしく、そしてうるんでいる。どの角度からみても見つめられ、引き寄せられるような目をしていた。
絵の具でよくここまで画けるものだ、と立すくむ感しだった。 女性美の極致といわれるミロのビーナスも俺の目には、ただ太めの女性としか見えない。
三日目のル‐ブルの帰りに、地下鉄で乗り換えるときにスリにやられた。
パリの地下鉄は市内どこでも行けて便利だが、クモの巣のように張りめぐらされた十三本の地下鉄があり乗り換えが多い。乗り換えの電車は混んでいた。
乗ったところ、どやどやと五人くらい若い女の子が入ってきた。まだ学生ぐらいの年だ。そしてワイワイいいながら混んだ車内を移動しはじめた。
俺は手摺につかまっていた。近くにいた若い男が俺に何か文句を言っている。
手振りからいうと手摺につかまっていると女の子が動けないだろうというゼスチュアだ。しかしこんなに押されたら、つかまっていないとひっくりかえりそうで無視していた。次の駅で女の子とその男は降りていった。
駅の改札を出るときキップを入れておく小銭入れがない。今の連中にやられたのだ。地下鉄は出るとき自動改礼なのでここで気がついたのだ。
財布はジャケットのポケットにきついぐらいきっちりと入ってしかもボタンもしめてあったのに。手摺につかまっいなかったら時計もとられただろう。
左のポケットにはいつも市内バス、電車賃と飲物代千円ぐらいしか入れてないが、財布なのでねらわれたのだ。
スリも財布をあけてびっくりだったろう。右のポケットには一万円弱の紙幣をそのまま入れているので狙われにくい。そしていつも一万円しか両替しない。
そして他の全財産は腹巻に、パスポートとカ‐ドは、ジャケットの内側の特製ポケットに別々それもひも付きの袋に入れてある。大きい金額の支払いはカードでする。
今回スリにあったのは、ブレザ‐を着ていたことにある。いつもジャンバ‐を上に着て、ジャケットを隠しているのだ。このように用心深い俺からスリ取るとはたいしたもんだ。パリのスリはテクニックも芸術的にうまかったのだろう。
そして複雑な地下鉄の路線図を見ながらうろうろする俺をスリはカモと見たのだ。路線図は事前に頭にいれ軽装でパリに住んでますー、てな姿で今後歩こう。
次の日はオルセー美術舘へ行くつもりだったがスリにやられたので、気分転換にフランスの誇る新幹線TGVに乗ってリヨンヘ行く。二時間で五百キロ弱を行く。
ただで乗れるパスをつかわなきゃ損だ。通路をはさんで二席と一席のゆったりした一等の列車は快適だ。日本の新幹線グリーン車は通路をを挟んで二席なので手狭に感じる。
ここからプロバンス地方を旅してみたが特に書くべきこと無し。
パリに戻り予定のオルセ‐美術舘へ行く。ところが定休日であった。ここで見たい画はかなりあったのに!残念。
では近代のモダンアートも話の種にとポンピドー美術舘ヘ。ところが当日なんか催し物があるとかでキップ売り場は長だの列、やはり宿のおやじが勧めるカルト、ミュウゼ(美術館のフリー切符)というパスを買えばよかった。
この美術館は外から見るとまるで工場のようにバイプで組み立てられ、エスカレーター、エレベーターは外側の大きなガラス管の中にありへんてこりんな建物だ。
あきらめてコンコルド広場、シャンゼリゼなど、ありきたりの場所で時間をつぶした。今夜はパリからローマヘ、十四時間の旅だ。
その2 イタリアにて
イタリアへ向かう夜行列車、ヨーロッパ乗り放題1等のユーロパスを持っているが指定券は必要。
旅行シーズンのため英会話OKのパネルがある窓口は長蛇の列、しかし時刻表があればその列車のところに赤マークをつけ指さして、ユーロパスを見せるだけの裏技でどの窓口も使える。
日本で買える時刻表はトーマスクック時刻表がおすすめ、ヨーロッパ中の列車時刻が記載され毎年6月に発行される。地球の歩き方とともに一人旅のバイブルだ。
夜行寝台は一等が売り切れて二等だが日本のB寝台より広く個室なので快適だ。四人の部屋なのに三人で上品な老婦人と下品な俺と、一週間のイタリア旅行という女学生だ。
この女学生は旅慣れていると見えて色々旅のニュースを教えてくれる。英語もはっきりと分かり易い。ローマはホテルも高く、安いところは治安上のトラブルが多いとのこと。ローマ泊はやめた!ナポリなんかいいとのこと。
ベットに入り寝るとすぐに車掌に起こされ、パスポ‐トと乗車券をあずける。(今はユーロ一体でこれはない)
国境を越えるために必要なのだ。早くヨーロッパ共同体になり通貨も含めてこんなことが不要になるとよいのだが。
朝ロ‐マ着、さて今日はナポリまで行くか。
荷物は南国イタリアを旅するので不要の服その他、次の目的地オーストリーにパリから送ってナップザック一つの軽装なので移動は実に楽だ。
ナポリのインフォメーションをたずね、市場の近くで三千円位の宿を希望したが三千五百円だがいい宿があるとのこと、その宿へ行き、五日泊まるので、三千円に、と、ねばったがここの太ったおばさん、なかなかガッチリ、全然負けない。
しかしよい部屋を貸してくれると、言うのであきらめた。しかしきれいなホテルで客室の二、三階はおのおの階段入口に鍵の掛かるドアがある。泥棒が多い、と言われるイタリアだ、まあいいか。
荷物が少ないので駅から遠くてもいいと思ったが五分ぐらいで裏はすぐ市場と希望通り。まだ明るいのでぶらぶらと市場を歩いた。
青空市場の夕市はオレンジ色の光と爽やかな風でみちあふれ、混んでもいないので気持ちがいい。なんと八十円(千五百リラ)のピザバイを焼いている露店があった。
下町の人は貧しい人が多いのか、すべて安い。でもその安いパイを十才ぐらいの男の子が一っ買って弟ぐらいの男の子と分けて食べていた。
俺も庶民の味を確かめるべく一つ買った。一つで満腹になるような大きいピザを二つ折にして新聞紙に包んでくれた。具は少なめだが焼き立てのせいか旨い。
食べているうちに喉が乾いてきたので水を買おうとしたら百五十円、ところがその隣に八十円のワインがあったのにびっくり。本当に水より安いワインがあった。
さっそくどんな味か試飲せねばならない。栓をあけてもらってワインをラッパ飲みしながらピザをかじる。ワインはスパークルワインでアルコールもビールぐらいしかないので乾いた喉にあっさりとしみわたり旨い。
観光地では歩きながらワインを飲むなど出来ないが、ここでは何人かやっていた。たぶんいいのだろう。空も晴れ気持ちがいい。なにもレストランで食べなくてもこういう食べ方が大好きだ。しかしこれで夕食が終わったわけでない。
時間があるので広い市場をぶらつく、南国の新鮮な果物、野菜も種類が多い。安いのでたくさん野菜果物を買って宿へ帰る。
宿でサラダを作り、ごま塩をふりかけて食べる。塩が無かったのだ。
外国で入手しにくい調味料として味噌(インスタント生味噌汁)醤油、胡麻塩は持ってきたが、塩は日本のように小口に分けたビン入りなんか無く、現地調達では一キロの袋だ。
旅には小袋に分けた塩は必要、塩さえあれば野菜で一夜漬けができる。これをパンにはさんだサンドは旨い。
次の朝、早起きして朝市を見にいった。さすが漁港のナポリ、新鮮な魚が多い。目が生き生きとしている魚、魚、エビなどは歩きまわっている。
タイに似た大きな魚があった。鮮やかな光沢、まだ生きているような目、こんな魚を塩焼きにして食べたらどんなに旨いだろうと、鮮度を試したくなり魚体を指で押してみた。
とたんに、ノー、パララ…とけたましい声でドナられた。
俺は片手を上げて謝る仕草をしたら、オヤジはにっこりとしてウインクした。口は悪い?が気の良いイタリア人であった。
昨日のピザ屋でまたピザを買い歩きながら食べる。やはりテイクアウトするより出来立てを食べるのが旨い。この店は子供に人気があるのか回りに子供が多く、ピザ一つを三人で分けているもの、それを見ているだけの子供も、人生色々だ。
貧しい人たちの多いところと聞いたがナポリには乞食も少なく子供たちから金をせびられる事もなかった。
この日、ベスビオス火山の爆発で一瞬のうちに火砕流に巻き込まれたポンペイの遺跡に行った。帰れソレントヘの歌にある美しいソレント海岸行きの電車で四十分、小さな駅に着いた。
ここから見るペスビオス火山は、かなり小さく見えこんなに遠くの町を一瞬に滅ぼす自然の力の恐ろしさを感じた。
この遺跡は半分ぐらいしか発掘が進んでいないが、それでも縦横一キロ以上ある。
遺跡は酒の壺が多い商人らしい家、豪商の屋敷か、中庭付の広い家はまだ壁の絵がそのまま残っている。
大きい大理石の浴槽がある広い浴室、広間と思われる部屋には、食事中だったのか、テーブルには食物らしいものが並べられテーブルとともに火山灰で化石になっている。
もっとすざましいのは生きたままのような姿で、手を伸ばし、うつぶせに倒れた人。
あおむけになっている小柄な人はきれいな歯並びだ。まだ若いきれいな娘だったのだろうこうして見ているとミイラなどと違い、ちっとも無気味でなく魔法をかけられ石像になった人々を見ているようで魔法が解ければそのまま起きだしそうだった。
人々はこの街を一瞬に襲った悲劇と言うが、人生の一生は宇宙からみた時間の中では、ほんの一瞬、そのまた一瞬に愛する人、かわいいペット等と一緒に。
誰にも必ず来る死、そして普通は一人で迎える死、俺はこの人たちは、むしろ幸せだった様な気がする。
南国の強烈な日差し、歩き疲れて喉がカラカラ、ところが珍しく水道があった。がぶがぶと一リットルぐらい水を飲んだ。
出口の近くで簡単なスナック屋があった。遺跡の建物の一部を使っているが、こんなことしていいのかな?
このスナックでアイスクリ‐ムを二つ買ってむさぼり食う、それでも足りずに三つ目をオーダーすると、ここのデブねーちゃん目を丸くしてびっくりしている。こんなに食う奴はそう居ないらしい。だって一個が日本の二倍以上あるのだ。
遺跡に昼前に入ったが、中にはレストラン等は無く、またゆっくり見て回ったのではらぺこになったのだ。スナックにはサンドイッチはあったが乾いた喉にはパサパサしたものは、ほしくない。皆さん、ここでは遺跡に入るまえに食べたほうがいいですよ。
次の日はローマへ行った。
ローマはさすがに観光客が多くそして英語も通じる。しかしローマの交通状況は凄まじい。
メインの道路も信号のある所は少なく、またあっても人はそこを通らず平気で車道を横切る。
車もそれを心得ているのか人の前で止まるか、うまく避けてゆく。車が絶えたところで横切るなんて事が出来ないほど絶え間なく車が通る。
話の種にトレビーの泉を見に行こうと旅行案内所へと行ったが長蛇の列。
諦めてそこいらに居る人に二、三人聞いたら英語を喋る人がいた。
その人はゼスチャーたっぷりで、こんなに混んでいるのでバスはだめで地下鉄で行くと良いと教えてくれた。
地下鉄はパリとちがって少なくA線とB線の二本しかなく分かり易い。
その名もスペインと云う駅で降りた。地下道を抜けるとすぐ道路があり多くの人がいる。ここがスペイン広場?少し広い道の両側にはビルがびっしりとたつてる。
車が走つていない遊歩道だ。とても広場なんて云うものではない。その真中に直径20米ぐらいの大理石でできた池があり人がいっぱいで泉の縁に腰掛けている。
人々々。これがあの有名なトレビの泉か!その横に坂が階段になっているだけの所がある。これがスペイン階段?しかもなぜか柵がもうけられ、今は入れないようになっている。(このとき階段は修理中だったのだ)
なぜこんなところが有名なのか良く分からない。坂をとことこ上がって行くと大きな公園がある。良く手入れされそしてものすごく広い。端のほうまで行くと二キロ米あるそうだ。
これがボルゲーゼという貴族が家族のために作った庭だというからおどろきだ。中央まできたら歩くのがめんどうになってきた。南イタリアの陽光は強く暑い。
背中にリユックを担いでいるので疲れてきた。リユックの中に入れた駅で買ったサンドウイッチと水をだした。
混んだレストランで食べるのが嫌いなので公園で食べるのは予定の行動だ。
水はミネラルウオーターのビンだが中身は水道水だ。ローマの水道は石灰分が多いので手を洗ってもヌルヌルするが、もはや水道水を飲んでも平気になった。
胃も慣れたのだ。ワインより高い水なんか買えますか!ってんだ。腹も一杯になったので、眠くなった。財布パスポートなど大切なものは全部腹巻に収納して木陰でリュックを枕にごろりと横になった。
暑いけれども湿度は少なく、木陰にはさわやかな風がそよぐ。良い気持ちで二時間ほど眠った。
観光地はやめて明日は遺跡を見に行こう。
今日は荷物を駅に預かってもらい昨日と反対方向の地下鉄に乗り、コロッセオというところで降りる。
コロッセオとは円形闘技場のことで遺跡がドカンと目の前にそびえ立っている。野球のスタジヤムのようで高さが五十米位、よくこんな積木みたいな石で崩さずに積み上げたもんだと感心した。周囲をぐるりと一周してみると干九百年前に完成したこの建てものはすすけたように黒ずみ凄味がある。
直径二百米位のこの中に入ってみる。中は広々とした野球場のようなマウンドを想像していたが、ただ石垣で作られた迷路のような道が縦横に走っている。
どうやって闘技をやっていたのか?迷路ゲームのようなことをやっていたのかなー?たまたま団体客がありガイドが英語で説明していた。
きき耳をたてると、この上に木の床がひかれ、その上で闘技が行なわれたとか。そして人と人、人とライオン、1対1で相手が倒れる(死ぬ)まで闘ったとのこだ。なんて残酷なことだろう。
この横にフォロローマノと云われる古代ローマ都市の大遺跡がある。イタリア行きの目的地の一つだ。
今から二干七百年~二千年前まで大帝国を築いたローマ人、縦横とも一キロ米以上ある。ぐるりまわっても四、五キロ米しかしそれでは廻りを廻っただけ。
時間をかけてゆっくり見よう。大神殿あと、凱旋門、商取り引きで賑わったであろうと思われるような広場をぐるりと囲んだ建てもの跡。
水の湧き出ているところがありそこから水を引いて大理石の大きな(長さ五米幅二米)浴槽に滝のように水を落としている。そして幾つもの大きな部屋、ここはきっと大金持ちの家だったのだろう。
庶民が住んでいただろうと思われる道をはさんでびっしりと間口五米位に区分された住居跡、奥の所に竈の跡まである、狭い住居を広く使うためか低い天井を張っていたのだろう、低い位置にある天井簗をとりつけるための穴も多く見られた。
このようなところ迷路のような道を縫うように歩きながらいろいろの思いにふけっていると、あっというまに一日が過ぎる。
今日夜行寝台でオーストリアヘ向かうがまだ時間があるので駅前の円形闘技場へ又いった。
ここは無料でいつでもはいれる。コロシアムの内部の石段に座る。午後七時過ぎ、この時間はもう観光客は少なく静かである。
日も陰り始めコロシアムの内部に陰が出来、そのコントラストが死ぬまで闘った凄惨な闘技を思い浮かべた。その闘いに興奮して叫び声をあげる古代ローマ人の声が聞こえて来るようだ。このローマ人の戦闘性が空前の大帝国を築いたのだと納得した。
その3 オーストリアでトランクが紛失
南国のイタリアをほっつき歩いていた俺は山が恋しくなり、ローマから次の目的地オーストリアへ旅立つ。ホテル代をケチるため夜行寝台を使う。ユーレールパスがあればわずか数百円の指定料で済むのだ。
ナポリから十二時間、早朝の六時にヨーデルの本場インスブルックに着く。
トランクはパリから直接ここに送ってあり、イタリアは軽いナップザックで旅をしたのだ。
しかし荷物は八時から、早いので宿を物色すべくオープンしている駅の近くのホテルを二三軒聞いたがかなり高い。
歩いているうちに、郊外に近いところ迄出てしまった。荷物がナップザック一つなので歩くことは苦にならない。
ここで美しい中庭をはさんでコの字型のしゃれた三階建ての宿を見つけた。一泊三千五百円とのこと、一週間連泊でまけさせようとしたがだめ。
学生のような若い従業員なのでその権限はないのだろう。
チェックインには早いので荷物をあずけ、ぶらぶらしているとバスがきた。
手を上げるとバス停でないのに止まってくれた。
外国人だからかな?これで駅まで行き食事をしてからさて、荷物を、ところがまだ荷物は届いていないと言う。
パリで送る時3日で着くと言っていたのに、もう1週間経つ。荷物はストレートに送られず三カ国経由してくるそうだ。その駅に電話してくれている。
荷物の形状、色、大きさなど特徴をいろいろ聞かれた。しかしすべてドイツ語だ。ドイツ語圏(スイス)など歩いているから片言ぐらいはいえるが、ややっこしいので単語をならべるだけの答えになるのだ。
今までの旅で若い人は皆英語をしゃべるものと思っていたが、ここは違うようだ。
永く共産圏の国だったからか?やむなく又くることにして調査を続けてもらう。
南国イタリアからの薄着では山岳地帯のチロルへは行けない。仕方なく宿に戻って寝転がっていると、どこからか素晴らしいフルートの音色が流れてくる。
聞いたことのある曲、魔笛の一節だ。日中で泊り客もいないので練習しているのだ。
フロントで聞いたらウイーンフィルの人がここで練習しているとのこと。中庭で日向ぼっこしながらぼんやりと聞く。身近で聞く生のフルートその音のふくらみ、そして優しく心にしみわたるさわやかな風のような響きに浸っていた。昼は客がいないので練習しているのだ。
たまには骨休めにこんな事もいいだろうと思った。
夕方駅へ行ったが未だ荷物は着いていなかった。やむなく服を買いに町へ出た。しかし運悪く日曜日でめぼしい店は閉まっている。
しかしメインの大通りを遊歩道にして屋台など多く出ている。なにかお祭りかな?奥の方に舞台が出来ており、ヨーデルが始まる。
本場のヨーデルだ。まさかここで只で聞けるとは思ってもいなかった。
ビールを飲んで歌を聴きながら皆と踊る?(ただ腕をくみ体を揺すっているだけの踊り?)
荷物がない憂鬱な気持ちもこのときは忘れた。
次の日もうあきらめ、防寒用にネルの厚い室内着?を買った。セーターは高くて買うのをあきらめた。羊毛の国なのになぜだろう?原料の羊毛は安くとも加工したものは高いのか。
ところでトランクはオーストリア出国まで届かず、書類を書けと云われたがドイツ語でチンプンカンプン、日本で書いて送るといったらOK。この書類日本へ帰ってから辞書を引きながらやっと書いた。
ところがインスブルック駅で係員が書いていた書類には荷物の内容三千ドルと言ってしまったのだ。
しかし本当はインスタント食料、着替え、安いカメラで三百ドルくらいだ。
カッカとして一桁間違って云ってしまった。
今更変更するのもなんだから、ビデオカメラを書き加えて、つじつまを合わせた。
しかし一年経って、この鉄道のお偉方?のサイン入りの詫び状が送られ、銀行には九万円が振り込まれていた。
さんざん不自由な思いをしたのだからまあイイか。
その後ナップザック一つで二週間ヨーロッパ各地を回ったが、基本的にはこの
荷物に少々必要に応じて買い足す程度だ。
帰国後ナップを計ったら全重量四キロ弱、移動には疲れず少ない荷物でも旅を満喫できたのだ。