第10話 海のアクシデント
ある日、Nがヨットに六分儀を持ってきた。俺はドキッとした。六分儀というのは、望遠鏡と鏡が分度器に組み合わされたようなもので、太陽と水平線を同時に見てその時刻と太陽の角度で船の位置を出す機械だ。
揺れる船の上でこれをやるのは、なかなか難しく練習がいる。しかし大平洋横断には絶対必要な技術だ。 六分儀!もしや彼も同じことを考えているのではないか?
だいたい冒険をやろうとする時、計画は秘密にするものだ。それは一番乗りをして、大騒ぎしてもらいたい等という気持ちは毛頭も無く、ただ一番というのは、人がそれまでやった事が無いということで、難度が高く、価値がある。
二番は、できることを一番の人が実証済であり、価値はドーンと落ちる。ただそれだけのことである。
おれは六分儀は絶対一人で乗ったときしか持って行かなかった。
ヨットスクールを出てまもなく、ある夏のこと、S大学生を二人助手として乗せていた時期があった。
S大にはヨット部はあるがクルーザーが無く、実習生として受けいれていたのだ。二人の学生を乗せて、葉山の沖に停泊し、ちょうど俺の課が泊まっていた葉山にある会社の海の家に遊びに行った。
ちょうどその時小さな前線が通り、船が波で振られて、砂底に打ち込んだイカリを付けたロープのもやい(船を結びつけて固定すること)がはずれた。
助手が結んだロープがゆるく、ほどけたのだ。しかし彼らのやったことを再確認しなかった俺が悪いのだ。
会社の海の家でだべっていた俺は天候が悪くなったので、あわてて船へ戻ろうと、海へ走っていった。その時、すでに遅く、船は助手二人を乗せて漂流中であつた。
俺は海へ飛び込んで船を追ったが、とても追いつかない。助手も容易に上げられるジブセール(前帆)を上げ近ずこうとする。しかし、これだけでは船はコントロールできない。
ヨットはメインセール(主帆)とジブ(前帆)とで初めてコントロールが出来るのだ。しかしこのような状態になるとメインセールは上げられない。
ジブを降ろし風上に船を向け、帆が風で張らないようにしてからメインを上げ、それからジブを上げるという手順がいる。あわてる彼らにそんな余裕など無い。
そして風に流されて葉山マリーナ近くの岩礁に乗り上げた。波を受けるたび、マストが激しく揺れ、マストを支えるワイヤーが弓の弦のように振動していた。
助けようとしていたマリーナの人たちが、力の強い大型ボートのエンジンを一生懸命にかけていた。
俺も黙って見ているわけにはいかず、マリーナの防波堤から飛び込み、船に泳ぎ着いた。そしてジブセールを降ろし、風の抵抗を少なくしている所に、マリーナの大型ボートが近ずきロープを投げてよこした。
俺は夢中でこのロープをしがみつくように取り、波で岩礁にぶつかる船の衝撃で落水しそうになりながら、しっかりとロープを船に結んだ。
手を振ると、大型ボートは力強くエンジンの響きをとどろかせ、ヨットはバラバラになる前に岩礁を離れた。ほっとした俺は、腰がぬけたようにデッキに座り込んでいた。
幸いにマリーナ近くでの事故だったので、船は沈没する前にクレーンで吊り上げられ陸に上げられた。この修理は太平洋横断の新艇購入貯金から手痛い出費であった。
この年の八月末、堀江青年が十九フィート(六米)の小さなヨットで太平洋横断をはたし、マスコミは大騒ぎだ。
俺はびっくりした。なんでこんなに騒がれるのだろうか?
なんだか恥ずかしく、俺向きではない。マスコミさん、あまり騒がないでくださいよ!
堀江青年も、で!次の冒険は?なんて、マスコミにセッツかれてさぞ困ったことだろう。 そんなこともあり、ふくらんだ風船がしぼむように、世界一周の計画もだんだんさめて、その後俺のヨットは、友人を乗せる遊覧船と化した。
遊覧船の船頭となった俺を見て、おふくろは、ほっとしたことだろう。がむしゃらに金を貯め始めた俺を見て、又何かやらかすと、うすうす感じていたようだからだ。
ところで遊覧船になったヨットも年一回、長期にわたり手入れがいる。
乗船半分、手入れ半分という言葉があるぐらい?だ。
じつはこの言葉は、陸に上げたヨットを手入れしているとろを朝日新聞に取材され、適当に俺が言った言葉がヨットの手入れしている写真とともに日曜版にのっただけで、実際こんな言葉があるのか俺は知らない。
手入れは、船を陸上にに引き上げ船底に付いたフジツボ、海藻を落とし、古い塗料をはぎとり、磨きそして防腐、防水、と違う塗料を何回も塗る。
デッキ、キャビン、マストなどもニスを四~五回も塗る。今のプラスチック製ヨットの人は、ご存じあるまいが木造艇の手入れはこんなに大変なのだ。
でも木造艇は重いが丈夫だと今でも思っている。五センチ巾位の長い木材を外板と内板に違う方向に貼り合わせた二重張りの船体、二米近く船底から伸びたキール、その先に付くートン近いバラスト(重り)、まさに起き上がりこぼしだ。転覆してもすぐ起き上がる。
今のヨットはレース用に早く走るように作られキール、バラストとも充分ではない。
大波ですぐにひっくりかえる。そして重りが小さいからなかなか起き上がらない。マストだって軽量化するためアルミ製だから大波にたたかれれば、折れてバラバラになる。
最近ヨットの遭難があるが、このような船だからだ。
木造艇のマストは一本の丸太ではなく、数枚の板を貼り合わせた強化木材なので、重いが粘りがあり簡単には折れない。
俺が太平洋横断を計画していたとき、ヨットには絶対の信頼をおいていた。
ヨットはどんな嵐にも耐える不沈艇なのだと。
話を戻して、遊覧船になった俺の船の手入れは、金もかけたくないので、自分たちですることにした。そこでヨットに乗りに来た人達に、声をかけ有志を募った。
食事、交通費付きという条件の内容は、食事はヨットで作ったラーメン、交通費は俺の車に同乗して来るだけのことである。
皆はブツブツいいながらそれでも良く手伝ってくれた。
でも現場監督になる人が多かったようで朝日新聞に載っていた写真をみると、一人がペンキ塗りをしている後ろに二人が腕組みしてそれを見ていた。