第8話 就職はしたけど
やっと学校を卒業した俺は、社員三百人という中流どころの会社に入った。
その会社は、オルシコンという、とてつもなく、難しい撮像管(光の像を電気信号に変えるテレビカメラの頭脳)も作っていた放送機の製造会社なのだ。
ここは当時アメリカのA社しか出来なかった放送用ビデオも初めて国産化した。すなはち俺好みのチャレンジ精神旺盛な会社なのだ。
もし大手の会社に入ろうものなら、偉い人ゾロゾロで新人なんか、コピー、走り使い等の雑用で一日が終わってしまうだろう。
はたして俺は入社早々、オルシコン試験装置の一部を作らされた。
そして、入社一年で測定器管埋という仕事を受けもたされた。俺と助手一人だけだ。
測定器の貸し出しが仕事なのだが、測定器といってもメーター等ではなく、エレクトロニクスのかたまり、シンクロスコープ(電気の波形を見る機械)などが主である。
シンクロスコープとは電気の波を正確そして詳細に見て電気回路の動作を診断する複雑な機械だ。
当時のものはトランジスター、IC化されておらず、真空管多用のため、よくこわれた。
中流どころの会社は測定器に余裕など、あるはずもなく、故障してもメーカー修理に出しているひまがない。しかし修理は俺好みだ。
夢中になって取り扱い説明書、回路図を読み、機械を理解して修理を続けた。
ところで、さらに複雑な機器もあり、壊れて修理品が山積みになりさすがに困った。しかし教えてくれる人もなく、助けてくれる人もない。
そこでやっと安定化し、値段も安くなったトランジスターを使って、よく故障する部分を真空管からトランジスターで動作するよう設計し改造した。
トランジスターの出現!それは複雑で壊れやすい真空管、2種類の電源も必要(ヒータ用と、感電するくらいの動作用の高電圧が必要)から、
小豆粒ぐらいの三本足、乾電池ぐらいの電圧で動作するこの魔法の部品に電撃のような驚きを感じ何冊ものトランジスター本を買いあさり読みふけっていたのだ。
そしてチャンス到来と、トランジスター化を行った。部品など取り付け互いにつなぐ基板もパズルのようで考えるのが面白く寝る間もけづり設計した。
これでますますメーカーヘ出せず、自分で修理しなければならなくなった。しかしこれが俺のため、非常に勉強になった。
こんな事を書いていると、俺は超優良社員みたいだが……。ところが、ところが。
この頃は、まだ土曜日は出勤、日曜だけが休みで、俺は土曜日に、ザックをかつぎ、登山靴の姿で出社した。
家は武蔵小金井、会社はより山に近い八王子なので、中央線の山へ行くには、その方が都合が良い。相変わらず単独での山行であったが、この頃は、いつのまにか中央線を使った山へ行くようになった。
土曜夜発、日曜夜行で帰るという強行軍で月曜は眠くなる。眠いときには、社内のダクト(大きい通風管)の裏で寝袋に入って寝ていた。
山からの月曜朝帰りなので登山姿のまま、寝袋もあるのだ。
ここは誰からも見つからない秘密の場所。ボーとして起きていても仕方がない、そのかわり起きたらキッチリと仕事をやった。
ところで、その当時は年休を半分も取らずに流す人がほどんとの時代、俺は遠慮なく有給休暇を取るので部課長会で問題になったこともあったらしい。
その時常務のNさんが、あの馬鹿、山へ行かせておけば、きちんと仕事もするからホットケ、との一言で俺の首はつながったらしい。