第17話 カラーテレビカメラ元年戦
仙台工場から帰ってからまもなく、業務用テレビカメラをカラー化する話が出た。
業務用テレビカメラとは今の家庭用ビデオカメラと放送用テレビカメラの中間のカメラで主に学校放送やケーブルテレビ局などに使われる。
今までは白黒画の出るものしか無い。他社、業界にもない。世界中にもない。
もちろん今のビデオカメラも無いので参考に出来ない。
放送用カメラは一干万円以上もする。業務用となると二、三百万円で作らねばならない。放送用をまねしてコピーするわけにはいかないのだ。色々工夫しなくてはならない。
他社も動き初めているとのこと。ここで手ずくりモーター少年の心はバクハツした。
まさに業務用カラーテレビカメラ元年だ。忘れもしない昭和四十四年五月のことだった。俺は会社に泊まり込み、眠いときは寝袋で寝て、起きている時間すべて仕事をやった。少しの食事時間を除いて。しかしたまには風呂に入るために家へ帰った。
ところでテレビカメラには、まずレンズが付く。レンズの光の像を電気信号に変える撮像管という重要部品があるが、業務用カラーテレビは、カメラを小型化するために2/3インチのものを使う。
常織的には、これに対するレンズも2/3インチ用だ。しかし俺は、今まで使っていた白黒業務用の1インチレンズが使えないか考えた。
これならレンズの開発設計費もいらない。ズームレンズは十枚以上で構成され、設計も大変なのだ。
テレビカメラはレンズと撮像管の間に光像を赤緑青の三原色に分ける光学系という装置が入る。この中で1インチから2/3インチに光像を縮小した。
このアイデアは大成功で光量は二倍になった。すなはち感度が良くなったのだ。虫メガネで太陽の光を集めると(縮小すると)太陽の光が強くなり紙などを焦がすことが出来るのと同じ原理だ。
もう一つの重要部品に、先程でた撮像管があるが、三原色に光像が分けられているため、三本必要で、この上にコイルを巻くが、三本とも同じように作らないとテレビ画で三原色が重ならず色ずれを起こす。
ここでも又、モーター手作り少年の器用さが発揮され三原色は、うまく重なったのである。重要個所が二つも優れているのだから、画像は他社より抜群に良く、このテレビカメラは飛ぶように売れた。
とうとうNHKが発行している、テレビジョンという専門誌の表紙に、俺の全身の写真がそのカメラとともに載ったのだ。
なんだか恥ずかしく俺は、その雑誌を本屋で買う時、顔を見られないように、そっぽを向いて買った。 (これを載せるのは自慢のようで恥ずかしいのですが、私の一番大切にしているたからものです、すみません)
ちようどこの時、アメリカから研修生が来ており、このことを彼に話したら「それはすごい、私の国ではノーベル賞の次ぎぐらいすごいことです」
と言った。
俺も驚いて売り切れないうちにと、今度は急いでもう一冊買った。
話が少し戻るが、寝ているとき以外、仕事をし続けているような忙しさ、息抜きが必要になる。
タバコを吸わない俺は、コーヒーが大好きである。仕事の合間によく飲む。それもブレンドした豆を挽いてドリップで出すという本格的なものだ。
これは香りも良く試作設計の本拠であった六階建てビルの空調ダクトを通じて、グルグル建物全体にコーヒーの香りが回る。さすがに上役もコーヒーだけはやめろと言った。人を困らせてまでやることは出来ない。
ここでも自動販売器のコーヒーはあるが、のどが乾いているときガブガブ飲む程度の味なので駄目だ。そこで一計を案じた。
国道をへだてて向こうに量産工場がある。車で出ても守衛はそこへ行くものと疑わない。
かくして豊田駅前のミドリヤ喫茶店は、俺のコーヒーブレークの場所となった。
会議打ち合わせも、しばしばここでやったので重要な電話は、交換手がここへ回してくれるまでになった。