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もみの木山荘オーナーの自分史。イジメられっ子からガキ大将へ。あだ名はガキ大将アク(悪)

もみの木山荘オーナーの失敗談「トホホ物語」。旅がやりたくて脱サラ、ど素人がペンション経営 もみの木山荘作るまでの・・・!

宮城蔵王貸切ぺンション「もみの木山荘」オーナーの真実の話を掲載しています。

もみの木山荘オーナーの写真館。山と高嶺の花、旅のエッセイ写真集です。

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オーナー自分史

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 まえがき
[ No. 1 ]

俺はとうとう腎臓病の再発で入院のはめになった。最初の発病は46歳それから15年が経過している。54歳で会社もやめペンションと旅の二股人生もやっと順調になった時だった。

スキーシ‐ズンでペンションは忙しく、疲れも取れない四月早々ヨーロッパヘスキーに出かけた。

-27℃のアルプス峠越え(スイスからイタリー)、帰国してからの、
義父の看病など重なり無理がたたったのだ。年も60歳を過ぎたのに、年を忘れて調子に乗りすぎたのだ。

思い起こせば最初の発病は1978年3月、近くの医院に入り2か月余り、治療は思わしくなくさらに
専門病院に入るべく、自宅に一時居たときの6月宮城県沖大震災に襲われた。入院はこの数日後だった。
仙台駅には止まったまま乱雑に飲みかけの瓶など窓に置き去りの新幹線。混雑する駅。

こんな現実を見ながらの精神状態で15年前、俺は慢性の腎臓病ではるばる仙台にて入院した時には延べ半年にも及ぶ入院で
「腎臓病→不治の病→悪化→透析→もう山へ行けない」と言うパターンが頭に有りノイローゼになった。

しかし専門病院で一年位注意深くリハビリすれば、かなり自由に旅をし、登山、スキーも出来る事が分かっていたので15年後再発した今回の発病では冷静でいられた。

しかしである、自分では大したことがないと思っていたが検査の結果血小板が普通の一万分の一!
後でわかったことだが治療薬ワーファリン(血液サラサラにする)の副作用、珍しいことらしい。

これは少しの怪我でも血が止まらず、何も出来ない重度の紫斑病、それと腎臓病の再発。
医療費無料の指定を受けた難病であった。

副作用の強い副腎皮質ホルモンを、規定量の何十倍も点滴するつらいショック療法。
薬の副作用のため不眠の毎晩。

腎臓病の治療は基本的には血流を良くして弱った腎臓の働き助ける方法をとる。
これは血小板も増やす効果があるというので歯を食いしばり耐えた。

そのためか頭の血のめぐりも良くなり、今回は、ほどんと忘れかけていた五十年前の幼い頃のことが、はっきりと思い出されるのであった。

それも幼い時の情景が映画のシーンのようにはっきりと…。こんな経験は始めてである。眠りかけた脳の古い細胞がこの治療で呼び起こされたのだ。

点摘を受けボーッと天井を見ていると、つぎつぎと昔のことを思い出しそれが、頭の中をぐるぐる回る。頭がパンクしそうになったので,書いて忘れることにした。

挫けそうになる気持ちを紛らわすため,長い入院の合間に少しずつ書き留めたのだ。

俺は今まで書きものなどしたことがない。作文など不得意だ。しかしこれはすべて,事実なので書けるのだ。

それは事実でなければ書けないディテールを、賢明な読者は分かってく下さるだろう。